未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――
レイルとドルガが坑道へ入っている間、アルド、ノア、フィアは村外れの防壁補修を手伝っていた。
前夜の雨で東側の木柵が傾き、魔物避けの結界杭が一本だけ土から浮いている。大がかりな依頼ではない。村人だけでも半日あれば直せる程度だったが、アルドはそういう仕事ほど放っておけない。
「あと一本持ってくる」
太い支柱を肩へ担いだまま、アルドが歩き出す。
右腕の包帯が少し赤く滲んでいた。
「アルド、待ってください」
ノアの声が低くなる。
「これを置いてからでいい」
「いいえ。今です」
アルドは二歩進んだ。
ノアの赤紫の瞳が細くなる。
「アルド。支柱を置く。三歩下がる。右腕を動かさない。座ってください」
「これくらいなら――」
「聞いていません。座る。腕を出す。反論はその後です」
昨日までの丁寧な研究者口調と同じ語尾なのに、温度が違った。
フィアが記録板を閉じる。
「命令内容、合理的。採択します」
「二人が組むと逃げ道ないな」
「帰還路はあります」
フィアはアルドの前へ立った。
「貴方自身が、その帰還路です。自分だけを条件から外さないでください」
アルドが言葉を失う。
ノアも一瞬だけフィアを見る。
「……その表現は採択します」
「ノア。今は評価者ではありません」
「分かっています」
「では、アルドを座らせてください」
「もう座っています」
アルドは二人に挟まれ、仕方なく笑った。
「言われたからな」
傷は浅かった。
結界杭の金具で古い傷が開いただけで、縫合も高位治療も必要ない。
それでもノアは止血布の位置を二度確認した。
「今度勝手に負傷を増やしたら、行動予定を私が四六時中管理しますよ」
「それは困る」
「もっと困りなさい」
「ノア――」
フィアが呼ぶ。
「何です?」
「貴方の左手、震えていますよ。それに目の色も変わっています」
ノアがぴたりと止まった。
「これはただの研究疲労です」
「血素不足の再発傾向。昨日の補給量で十分と判断したのはノア自身です」
「はぁはぁ......もっと厳密に指摘してください、もっとです」
「今、喜ばないでください」
アルドがため息をつく。
「結局、二人とも自分のこと雑じゃないか」
ノアとフィアが同時に彼を見る。
「何だ?」
「その指摘は」
「不要です」
二人の声が重なった。
「合ってるってことだな」
今度はアルドが笑った。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
昼休み、三人は修理した防壁の内側へ座った。
村の子どもが運んできたパンと果実水を分ける。
ノアは小さくちぎったパンを食べながら、まだ不満そうにアルドの包帯を見ていた。
「そんなに見るな。もう治ってる」
「見ていません」
「見てるだろう」
「観察です」
「同じ事だろ」
フィアが果実水を一口飲む。
「ノア。観察頻度、過多」
「フィアまで」
アルドは少し考えた後、視線を二人へ向けた。
「でも、助かる」
「何がです?」
「二人がいると、怪我した時に誤魔化せない」
「それは当然です」
「それだけじゃなくて」
アルドは言葉を選ぶように、珍しく時間を掛けた。
「帰ってきた時に、二人ともいると安心するんだ」
ノアの指が止まった。
フィアも記録板へ伸ばしかけた手を止める。
「……治療担当として?」
ノアが聞く。
「それもある」
「記録担当として?」
フィアも聞く。
「それもある」
「他には?」
二人がほぼ同時に続けた。
アルドは困ったように眉を寄せた。
「うまく説明できない。でも、二人ともいないと嫌だと思う」
場に沈黙が落ちた。
遠くで子どもたちが木剣を打ち合わせる音がする。
ノアは赤縁眼鏡を直した。
「……その回答は、保留します」
「何が駄目だった?」
「駄目とは言っていません」
フィアはようやく記録板を開いた。
「記録します」
「そこは記録するのか」
「重要事項です」
ノアが少しだけ横を向いた。
「私にも見せてください」
「共有可」
「なんで俺の発言がお前たちの共同研究みたいになってるんだ」
今度は二人とも答えなかった。
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
夕方、レイルとドルガから「採掘継続、異常なし」と短い連絡が入った。
リィナが大きく息を吐く。
「ほら、ちゃんと帰ってくるって」
アルドが言うと、リィナは頷いた。
「うん。でも帰ってくるまでは、”帰ってない”から」
その言葉を聞いて、ノアとフィアはなぜか一度アルドを見た。
アルドはまた首を傾げた。