未完の大魔導士――俺の近くでは何も完成しない――
南橋の避難が終わったことで、戦場の条件は変わった。
治療所と地下魔導炉を守る必要は残っているが、王骸獣を市場中央へ留め続ける理由はない。むしろ、長く残せば地下へ潜行し直す可能性が上がる。
七つの核を順番に砕けば済む相手でもない。
「問題は最後の二核です」
ノアが地面へ広げた簡易術式図を指で叩いた。赤縁眼鏡の奥の瞳は、戦闘中だというのに研究室と同じ鋭さを取り戻している。
「頭部核と胸郭深部核が相互補完しています。片方を先に落とすと、残った方が一時的に出力を引き受ける。二つをほぼ同時に止める必要があります」
「同時って、どのくらい?」
リィナが聞く。
「0.4秒以内。理想は0.2秒以下」
「私が片方?」
「貴方の剣だけでは、胸郭深部へ届きません」
ノアは容赦がない。研究者らしく事実を淡々と述べる。
リィナも怒らず、図を見る。
「じゃあ、レイルの魔法を一緒に入れられる?」
「二射線同時ならできる」
レイルが答えた。
「ただ、頭部は動く。胸郭は骨板の奥。二つを別々に狙うと、片方が外れる可能性がある」
「なら、動く方へ魔法を持っていけばいい」
リィナが言った。
レイルとセレネが同時に彼女を見る。
「持っていくって?」
「前から考えてたやつ。私が魔法を作るんじゃなくて、レイルが作ったものを剣に乗せる。セレネが流す道を決めて、私が運ぶの」
リィナは【継刃】の鍔元を見せた。
以前ロッテが試作した細い導魔溝が一本だけ走っている。完成した攻撃魔法を丸ごと通す設計ではない。術式の形を崩さず、短時間だけ外部から魔力流を預かるための溝だ。
「試験段階だろ?」
レイルが言う。
「うん。だから今やる」
「理由になってない、ぶっつけ本番じゃないか」
「実戦じゃないと、動く相手に運べるか分からない」
「失敗した時どうするんだよ」
「剣から離す。私が受けない。流路を切る」
リィナはそこまで言ってから、少し声を落とした。
「それに、私もレイルの後ろで『魔法が完成するまで待つ』だけじゃなくなりたい。前へ持っていけるなら、持っていきたいから」
レイルは返事を急がなかった。
危険条件が頭へ並ぶ。導魔溝の許容出力。継刃の温度。リィナの手への逆流。剣が弾かれた場合。魔法だけ先に結着した場合。
紙へ書き出す時間はない。
セレネが横から言う。
「できます。ただし、完成済みの魔法は駄目です」
「どういうこと?」
リィナが振り返る。
「完成した攻撃魔法を剣へ載せると、剣そのものが発射地点になります。保持しながら振れば、衝撃が継刃と腕へ直接返る。レイルが形成まで行い、結着前の流れだけを剣へ渡す方が安全です」
「完成する前に運ぶ?」
「はい。最後は、剣の軌道と同時に結着する」
レイルの頭の中で構造が組み上がる。
【未完】で保持するのではない。単に魔法工程を分担する。
自分が形成。
セレネが流路。
リィナが位置。
最後の結着だけは、レイルが遠隔で合わせる。
「時間差0.2秒以内なら?」
ノアが図へ新しい線を引く。
「胸郭深部核をレイルが直接。頭部核をリィナが運ぶ魔法剣。フィアが過去の励起周期から同期点を出す。ニアは誤差表示。理論上は成立します」
「成功率は?」
レイルが問う。
「初回実戦、未検証媒体、動的標的、術者三名。正確な数字を出す方が不誠実です」
「珍しく99%って言わない」
「あなた、喧嘩を売っていますか」
「確認」
「なら買います」
ノアの目が少し輝いた。
通常時の彼女は、難しい条件を突きつけられるほど研究者として元気になる。
「失敗条件を全部出してください。全部潰してから撃ちます」
レイルは苦笑した。
「それ、俺の病気うつってないか?」
「違います。私は失敗条件を潰す作業が好きなだけです」
「ちがう意味でもっと悪いかもしれないな、これ」
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
準備に使えたのは、一分にも満たなかった。
王骸獣の頭部核が再励起し、左右非対称の角骨へ魔力が集まり始める。
レイルは右掌に風圧術式を形成した。
今回は攻撃として結着させない。細く圧縮した風を、術式核の形のまま維持する。
「リィナ。剣をこちらへ」
差し出された【継刃】へ、セレネの青紫の流路が伸びる。
「入力は三割から。右手へ逆流したら即座に離してください」
「三割で届くかな?」
「届かせるのは貴方の足です」
「そういう言い方、好き!」
リィナが笑う。
風圧の核が剣の導魔溝へ入った。
刃そのものが光るわけではない。継刃の周囲に薄い風の膜がまとわり、振る前から髪と外套の端を揺らす。
「軽い」
「魔法に重さはほぼない」
「そういう意味じゃなくて、手の中で暴れない」
セレネが流路を微調整する。
「レイルの形成と剣の経路を直接繋いでいます。リィナの魔力へは混ぜません。貴方自身が術者になる必要はなく、継刃を通して前へ運んでください」
「それなら分かりやすい」
リィナが前を見る。
王骸獣の頭部は市場中央の崩れた鐘塔より高い。普通に跳んでも届かない。
「フィア」
「頭部核の最大励起まで3.7秒。胸郭深部は4.0秒。差0.3秒。過去四巡から、頭部が先行します」
「なら私が遅らせる」
リィナは走り出した。
左足で一度、右足で二度、【脚圧噴射】を短く使う。王骸獣の前脚へ向かわず、崩れた商館の壁を足場にして高度を取る。
一段目。
二段目。
壁を蹴ったところで王骸獣が頭を振った。
狙いがずれる。
「右へ!」
レイルが叫ぶ。
リィナは空中で左足だけを噴かせ、【空継】で身体を横へずらした。剣に乗った風圧術式が軌道変更へ追従し、継刃の周囲で形を崩さない。
セレネが流路を保っている。
「誤差0.18!」
ニア。
「まだです!」
フィア。
「胸郭、あと0.6秒!」
レイルは自分の右掌へ二つ目の風圧核を重ねる。
胸郭深部用。
リィナが頭部へ到達する。
王骸獣の角骨が振り下ろされた。
リィナは避けない。
継刃を正面へ出し、角骨の表面へ滑らせるように剣を当てた。風圧を載せた刃が骨を削りながら上へ走る。
「道、借りる!」
角骨そのものを足場代わりにして、頭部核へ一歩近づく。
【無終剣】の足運びが、敵の攻撃を次の位置へ変える。
「今!」
フィア。
レイルは胸郭へ向けて右掌を突き出す。
「結着!」
同時に、リィナの継刃へ預けた風圧術式も閉じた。
ズドォンッ!
胸郭深部で一つ。
頭部で一つ。
二つの衝撃がほぼ重なり、王骸獣の身体が初めて真正面から大きく仰け反った。
頭部の赤黒い光が消える。
胸郭の奥も暗くなる。
『同期差0.12秒! 二核停止!』
ニアの声が弾む。
王骸獣の脚から力が抜けた。
倒れる方向は北西。セレネがすでに空き区画へ誘導している。
巨体が石畳へ沈み、数秒遅れて、身体を繋いでいた魔力の筋が一本ずつ消えていった。
長い轟音のあと、街に静けさが戻る。
リィナは崩れた屋根へ着地した。
継刃の導魔溝から白い湯気が上がっている。
「あ、熱っ!」
慌てて剣を離しかけ、寸前で握り直す。
「もう放していい!」
レイルが叫ぶ。
「剣が落ちる!」
「手を火傷するよりましだ!」
リィナは渋々、継刃を屋根の上へ置いた。
ロッテが遠くから見ていたら確実に怒る。
レイルが【短距離転移】で近くの標へ移り、そこから屋根へ駆け上がる。転移直後のふらつきは残るが、さっきより一歩目が早かった。
「手――」
「大丈夫。ちょっと赤いだけ」
「見せて」
右手を取る。
掌に軽い発赤。水疱はない。
レイルが真剣に見るので、リィナの方が落ち着かなくなった。
「ねえ、魔法剣の成功より先に手?」
「当然だろ。成功しても手が使えなくなったら次がないんだから」
「……そっか」
リィナの声が少し柔らかくなる。
「じゃあ次は、熱くならないようにしよう」
「次やる前提なのか」
「やるでしょ?」
「......改修してから」
「うん。ロッテに怒られてからかな」
「怒られるの確定なんだ」
セレネが屋根の下から声を上げる。
「二人とも。成功判定はあとです。まず王骸獣の完全停止確認を」
「はい!」
リィナは反射で返し、レイルも手を離した。
地上へ降りる途中、フィアが記録板へ新しい項目を追加していた。
【試作連携:未命名】
【形成:レイル】
【流路:セレネ】
【運搬:リィナ】
【結着:レイル】
【同期差:0.12秒】
「名前、どうする?」
リィナが聞く。
レイルは少し考える。
「リィナが魔法を使ったわけじゃない。無終剣で運んだ」
「じゃあ【無終魔法剣】?」
「そのままだな」
「分かりやすい方がいい」
セレネが記録を確認する。
「正式採用は改修後にしてください。現時点では【無終魔法剣・原型】で仮登録します」
フィアが頷く。
「仮登録。安全条件未成立。再使用には継刃の排熱改修が必要」
リィナは不満そうに口を尖らせた。
「成功したのに安全条件未成立かぁ」
「今回は当たりました。でも次も同じ出力で手が焼けるなら、技として繰り返せません」
レイルが言う。
「それ、エルシア先生みたい」
「師匠に教わったから」
「じゃあ仕方ないな」
王骸獣は動かなかった。
リィナは屋根の上から、その巨体と自分の剣を見比べた。
自分で魔法を唱えたわけではない。
仲間が作った力を前へ運べた。
剣だけで全部をやる必要もない。
それが少し嬉しかった。